Sukesan1984

「理解する」という文脈を、「この人はこれこれこういう理由でこれが好きなんだなということを知って、納得する」ことだと捉えているのではないでしょうか。いやもちろんこれはこれで正しいんです。むしろこれが正しいんです。このへんをエントリで堀り下げなかった僕が悪いんです。
 この意味での「理解する」は、ある意味理想に近いです。しかしながら、多くの人にとって自分の内情を論理立てて、それに対して生理的嫌悪を覚えてしまう絶対的な他者に対して理解を求めるのは困難だし、「理解する」側にしても、そんなに深い洞察力と想像力をすべての人に求めるのは無理があります。
 なんだよ、言ってることちげーじゃんかよ。いやいや、もう少しだけ僕の言い分にどうか耳を傾けてください。僕の言う「理解する」、正確にいえば「理解しようとする」というのは、理解できない他者を、「その内情は自分には理解できないけど、そういうのもありなんじゃないかな」というかたちで肯定する、言わば「黙認」の思想です。想像力を働かせて「理解しよう」とすればするほど、僕たちは互いにどうしても理解しがいたい溝がその間に横たわっていることに気づくと思います。そのくらい、生理的嫌悪をもたらす溝というのは深いです。たとえば異性愛者が同性愛者を、md2takさんの文脈で「理解した」と言ったら、あんたそれはただのバイセクシャルだよ。という話で、同性に対するリビドーを異性愛者が正確に理解して共感できるなんてことはまずありえないでしょう。溝は深い。だからこそ、僕らはその溝を直視して、全力でその深さと幅を測らないといけないんです。それが「理解しようとする」という意味での僕の考える「理解」です。逆にいえば、「キモイ」というのは、そういった溝から目を背けることでもあると思うんです。それが理解放棄であり思考停止なんだと考えています。溝を覗きこめば当然、生理的嫌悪の内訳を僕らは知ることになります。それは自分の黒い部分です。だから「理解しようとする」作業というのは、自ずと「自分にとって都合の悪い自分」と向き合うことでもあります。誰だってやりたくないことだけど、そのことが、「まあありなんじゃない」に繋がるのではないかと僕は考えています。

「キモい」についてみんなもっと真剣に考えるべきだと思う。 - 風が吹けば本屋が儲かる
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